私たちの「化学」

研究室見学や学科分けの季節になりましたので、以前に、生体機能関連化学部会のニュースレターに寄稿した文章を再掲しておきます。

「先生の研究室って、なぜ化学科なんですか?」配属希望をどの学科に出すのかを迷う1年生や、研究室配属先について思案する3年生からは、いつも決まってこのような質問がでます。白衣を着てフラスコを振りながら、たまに爆発してススまみれに、、というある種の固定観念に囚われた学生にとっては、私の研究はどうも「化学」であってはならないようです。金属タンパク質の構造・機能というよりも、神経変性疾患というキーワードをちりばめた方が、学生にはウケが良いだろうという邪な考えがよくないのでしょうけど、Not Aと言われればAという天邪鬼な私です。これまでの研究遍歴を辿りつつ、私は「化学的」な研究をしているのかを考えてみます。

私は、京都大学大学院工学研究科分子工学専攻 森島績先生の下で博士学位を取得しました。当時の研究室には、NMRを使って研究する人、遺伝子組換えをしてタンパク質の研究をする人、そして、有機・錯体合成をする人が、文字通りに入り乱れていました。私も、森島研究室に配属が決まってすぐに、「ルテニウム修飾した亜鉛置換シトクロムb5における電子移動反応の圧力依存性」という、無機化学・物理化学・蛋白質科学といった色んな香りがするテーマを卒業研究として迷いなく選びました。金属とタンパク質という両極端の化学物質が協力して機能し、生命現象を司るという極めて複合的な状況に、本能的に惹かれたのだと思います。そんな環境で研究者としてのスタートを切ったものですから、様々な分野に顔を突っ込みたがる性格は今でも変わりはありません。

金属タンパク質といっても、日常生活で意識するのはヘモグロビンぐらいでしょう。でも、実は、全体の三割にも上るタンパク質がなんらかの金属イオンを結合して機能しているとされています。なので、タンパク質への金属イオン結合は、「画竜点睛」ともいえる重要なプロセスだと言えます。博士号取得後の留学先であるThomas O’Halloran教授は、生体内で銅イオンをタンパク質に運ぶ「銅シャペロン」の発見に関わった一人。「そりゃ、精製したタンパク質に銅イオンを放り込んだら結合するに決まってる。でも、細胞の中にウヨウヨと銅イオンがいると思うか?」Tomの言葉は、環境に応じて化学を柔軟に操る必要性を、今でも思い出させてくれます。細胞内の最も主要な金属タンパク質であるSOD1に対して、銅シャペロンCCSが銅イオンを供給するメカニズムを、私たちはシステイン残基のレドックスに基づいた化学的な視点から明らかにしました。このメカニズムが生物無機化学の教科書に載っているのは、私の隠れた自慢の一つです。

ただ、Tomと同じ方向を見ていても彼には勝てないという危機感があったのかどうかは別として、私の興味は金属イオンからSOD1そのものに移っていきます。ある日、金属イオンが解離したSOD1の電気泳動を行うと、綺麗なラダー状のバンドが得られたのです。金属イオンを結合できないSOD1は構造が不安定となり、本来は分子内に形成するS-S結合が分子間で形成して凝集する。これはひょっとすると、神経難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)と関係があるかもしれない。なぜなら、遺伝性ALSの一部では、変異型のSOD1タンパク質が運動神経で凝集していることが報告されていたからです。SOD1の熱安定性や構造解析といった物理化学的な研究を進めると同時に、ALSに関わるSOD1変異の同定に関わったSiddique教授が同じ大学の医学部にいたのも奏功し、S-S結合でクロスリンクされた異常なSOD1のオリゴマーをALSモデルマウスで同定することができました。私たちの論文が発表されてからは、SOD1におけるシステインのレドックスが俄然注目されるようになり、ちょっとした仕事を成し遂げた満足感と同時に、数多くの研究者が迫ってくる焦燥感にかられたことを思い出します。

タンパク質の凝集や異常なオリゴマー化に興味を持った私は、理研・貫名信行先生の下でさらなる研鑽を積む決意をします。多くの神経変性疾患患者の脳や脊髄には、タンパク質が線維状に凝集した「アミロイド」が蓄積していることを学び、ALSに生じるSOD1の凝集体もアミロイドのような線維構造を持つのか、調べることにしました。その結果、S-S結合が切断されてしまうと、SOD1は線維状に凝集することを見出しました。国際学会で海外の大物研究者から「SOD1のアミロイド形成を初めて報告した研究者ですよね?」と訊かれて舞い上がっていたのも束の間、ALS患者にはSOD1のアミロイドは確認できないといった反論も出され(更なる検証は必要!)、in vitroin vivoの両輪で研究を進める必要性を痛感しました。SOD1の他にも、HTT/TDP-43/Tau/TIA-1といった様々な神経変性疾患に関わるタンパク質の研究に没頭することができ、マウスをさばいたり、細胞を培養したりと、実験技術や研究の視野が飛躍的に拡がる貴重な時期でした。

基礎特研としての理研生活を存分にエンジョイし、幸運にも慶應義塾大学で研究室を主宰する機会を頂いてから、はや十年が経ちました。当初、キャンパス内のグランドピアノを優雅に弾く学生や、女子と手を繋いで登校する男子学生の姿は、京大生だった私には全くの別世界。研究以外の雑務も経験したことがなかったので、研究室のレイアウトを考えるのはもちろん、伝票処理さえも刺激的でした。ただ、最初の五年はテニュアトラック教員だったこともあり、自分が行うべき研究について思い悩む日々は今にも続きます。SOD1とは付き合いが長くなりましたが、それでも今だに色んな妄想をかきたててくれます。活性酸素の除去に関わるSOD1は、神経変性疾患だけでなく、老化・糖尿病・感染症など様々な病気に顔を出します。「SOD1から生命現象を理解してやろう!」そのためには、たとえ、大腸菌や線虫、そして、ヒトの検体を研究の試料に使っていても、私がこれまでに行ってきたように、金属イオンの結合(錯体化学)、S-S結合の形成(レドックス化学)、そして、タンパク質構造の変化(構造生物化学)を理解することがポイントになるのです。

だから、私の研究は化学的で、化学科が一番落ち着く先なのだと思っています。

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