タンパク質は適切な立体構造を構築することで生理機能を発揮しますが、遺伝子変異に伴うアミノ酸置換や、環境の変化などが引き金となって、その構造が異常化することがあります(ミスフォールド)。ミスフォールド型タンパク質が脳・神経組織に蓄積すると、神経細胞が変性して認知障害や運動障害を引き起こす原因になることが提案されています。例えば、アルツハイマー病やタウオパチー(ピック病など)などでは、ミスフォールドしたAβペプチドやTauタンパク質が記憶を司る大脳皮質や海馬に蓄積していることが知られています。タンパク質のミスフォールドは、疾患発症の原因なのか、あるいは、結果として生じる現象なのかは、実はあまりよくわかっていません。しかし、様々な実験モデルでは、ミスフォールド型タンパク質を減らすことで、症状が改善するという報告もあるので、タンパク質のミスフォールドを制御するメカニズムを理解することは、疾患の予防・治療法を考える上で非常に重要です。古川はこれまでに、Huntingtin(ハンチントン病)、Tau(タウオパチー)、TDP-43(ALS)、FUS(ALS)、α-Synuclein(パーキンソン病)といった神経変性疾患に観察されるタンパク質のミスフォールディングメカニズムについて、いくつかの提案を行ってきました。なかでも特に力を入れているのが、ALS発症の原因と考えられているSOD1(銅結合タンパク質)のミスフォールディングです。私たちの研究対象でもある金属(銅)イオンは、酵素活性の中心として機能するだけでなく、タンパク質の立体構造を安定化させる役割も有しています。つまり、SOD1が金属イオンをうまく結合できないと、立体構造が不安定となり、ミスフォールドすることでALSを発症させるのではないかと考えています。
筋萎縮性側索硬化症(ALS)は、脊髄にある運動神経の変性を伴う成人発症型の神経筋疾患です。ホーキング博士が闘病されていましたし、ALS啓発のために行われた「アイスバケッツチャレンジ」でも、世間に広く知られるようになった病気です。日本国内のALS患者数はおよそ8,000人で、発症年齢や罹病期間などは患者によって異なりますが、筋力低下、筋萎縮、麻痺といった症状が現れます。ALSの治療・予防法は未だに確立しておらず、リルゾールとエダラボンの2種の薬剤がALS治療薬として認可されているものの、その効果は非常に限定的です。ALSに対する新規治療法の早期開発が求められていますが、全ALS症例の9割以上が孤発性の疾患(sALS:遺伝的な要因がわからない)で、治療に向けたターゲットを見極めることが非常に困難な状況にあります。そこで、家族歴が確認される遺伝性のALS(fALS:全症例の約1割)に関する研究が精力的に進められており、現時点では、29のfALS責任遺伝子が同定されています。日本人のALS症例に限ってみれば、Sod1遺伝子に変異が認められる症例が非常に多いことが報告されています(fALSの20-30%)。Sod1は最初に同定されたfALSの責任遺伝子であることからも、マウスやラットなどを使用した多くのモデル動物が既に確立しており、これまでに蓄積している豊富な実験データを比較・検証することが可能です。私たちはこれまでに、Sod1遺伝子変異に起因するfALSの病理について生化学的な手法によって研究をすすめ、疾患発症における金属イオン動態の重要性について提案してきました。
アミノ酸配列が決まれば、タンパク質の立体構造も一義的に決まるとされてきました。確かに、正常な構造(生理活性を発揮する構造)はほぼ一つに決まると言っても過言ではないですが、構造がどのように異常化するのかは様々です。一体、どのミスフォールド構造が神経細胞を変性させるのか、あるいは、ミスフォールドしたタンパク質はそもそも疾患発症の要因なのか、根本的なところから見直す必要に迫られています。タンパク質ミスフォールドは、物理・化学・薬学・医学といった様々な学問分野が交差する魅力的な研究対象です。神経変性に関わる「真の」ミスフォールド構造を試験管内に再現すること、それが私たちのこれからの研究課題です。